神應寺総門の左にある大きな五輪石塔が「航海記念塔(重要文化財)」である。
高さ6.08m、幅2.44mに及ぶ日本最大規模のもので、下から地輪、水輪、火輪、風輪、空輪という。
石塔は旧極楽寺の境内に建立されたが、寺は廃寺となり石塔だけが残った。
起源や作者は明らかではなく、石塔にまつわる多くの言い伝えが残されている。
八幡神を宇佐八幡から勧請した大安寺の僧、行教の墓だというもの、また口碑によれば平安時代の末期に摂津国、尼崎の豪商が入宋貿易帰途の海上で大シケにあい、石清水八幡宮に祈り無事に帰国できた。これを感謝し、承安年間に建立したという。
以後、船乗りたちが航海の無事を祈願したことから「航海記念塔」と呼ばれた。
また、鎌倉時代末期、文永の役と弘安の役の蒙古襲来に際して西大寺の僧、叡尊が石清水八幡宮で祈ったところ、神風が吹いて元軍が敗れ去り、叡尊は彼らを供養するため建立したともいう。
五輪石塔の巨石を積み上げる際、金テコを使ったところ、石の間から火が噴き出し、男山の竹を使って無事完成したという伝説が残っている。
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